北斎は、若きライバルの広重が有名になりだした頃の1834年に、73歳で引退しました。それでも北斎は活動を続け、自らを「気遣い老絵師」と称して卍(まんじ)印をその花押としたのです。この長いPAR4のミドルホールは、北斎の隠居時代を象徴しています。やや、ダウンヒル気味のフェアウェーは、卍型のバンカーにガードされた大きなグリーンへと真っ直ぐ続きます。